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岸部シロー

岸部シロー(キシベ・シロー)
「ザ・タイガース」というバンドのメンバーとして活動していましたが、バンド解散後は、「西遊記」などのドラマに出演しました。最近も「西遊記」がドラマ化されましたが、沙悟浄役といえば、ウッチャンよりも「岸部シロー(当時の芸名)」です。1985年より朝のワイドショー「ルックルックこんにちは」の司会を務めましたが、1998年に、いろいろあって降板しました。最近は、ドラマ「電車男」に出演するなど、俳優・タレントとして活動しています。

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2010年3月

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豪邸

芦屋では豪邸しか建てちゃいけなくなったんでしょ?

豪邸っていったら、いまは600坪くらいだけど、
昔は旗本の屋敷とかになると、1500坪くらいあったんだから。

赤坂に氷川公園っていうのがあるけど、あそこは以前は氷川小学校で、
もともとは勝海舟の屋敷だったんだよね。
そういうのが豪邸だよね。

まあ600坪くらいでも、
実際、芦屋に家建てて住んでいるひとは
金持ちなんだけどね。

僕の知り合いには豪邸に住んでるひとはいっぱいいるよ。

『華麗なる一族』の万俵家みたいに、
中に入ったら、池があって鯉がいってていうのが豪邸だよ。
でもいまは、そういうのはなくなったね。
だいたい兄弟が揉めて、分割するからね。

大震災

阪神淡路大震災のときには、
僕は紀尾井町のビルの21Fに住んでたんやけど、
揺れたんだよ、東京だけど。ほんまやで。

そのあとルックに出るためにスタジオに行って、
みんなに「揺れた」って言うたんやけど、
だーれも信じてくれなかったな。

しばらくしてニュースでみんな地震のこと知って、
「岸部さんの言ってたこと、ほんとだったんだ」
って驚いてたわ。

同じビルに芸能界のドン・Wさんも住んでたけど、
あのひといつもお酒飲んでるし、
揺れても、わからへんかったやろな。

途中のラスト

最後の最後、自分が住んでるマンションも引き払って、
事務所の上の階に部屋を借りて寝泊りし始めた。

ここで最後の時を迎えるんです。
そして結局お金になりそうなものはすべて差し押さえられた。
泥棒が入ったみたいになっとたな。
僕はもうマンションには戻れなかったから
実際部屋がどうなっとったかはわからんのやけど、
めちゃくちゃやったみたいや。

残ったのは専門家じゃないと価値がわからん古本と、
サイズが合わんスーツだけ。
洋服やら靴だって、サイズのあるものやのに、
50万もしたエルメスのブルゾンや
10万円のジョン・ロブの靴はしっかりなくなっとった。
さらのまま取ってあったのに、高級品はいつのまにかなくなっとった。

こんなことならどっかに隠しとけばよかったな。

タイガースよ、ありがとう!

家を建てられたのは、間違いなくタイガースのおかげです。

71年に解散して、72年に子供ができた。
そのころからぽつぽつとドラマの仕事が入り始めたけど、
タイガース時代の貯金があったから、自分の家を持つことができた。

タイガース時代は毎日マネージャーが迎えに来て、毎日毎日仕事やった。
でもなんとなく元々自分のいるべき場所ではない気がしとったから、
解散になって寂しいという気持ちはなかったな。

でも家を建てられたのは、タイガースのおかげやから、そこだけは感謝しとこか。

ぶっちゃけ僕は頑張ったから自分の家を持てたんやと思います。
みんなも頑張れよ。
って僕に言われたくないかもしれんけど。

離婚の後の話

いまの奥さんと知り合い、2人で住むには僕の部屋ではあまりに無理があるので、
引越しを決意したんですが、あの部屋によく入っていたなぁっていう量の荷物の山。

引越しの時に2トントラック3台分ですよ。おかしいでしょう。
4畳と6畳、キッチンの2Kの部屋だったのに。。。不思議でした。

次の家は、そのマンションから歩いて10分くらいのところにあって、
5世帯ほどのマンション。
そこの1部屋を借りることになりました。

家賃は35万円でした。お笑い芸人のNチャンが僕の隣やったんや。
生活時間帯が違ったから滅多に会うことはなかったけど、
他にも結構いろいろな業界の人がおったんです。

3年くらいそこに住んで、あるひとの紹介で最後のマンションを借りることになりました。
そのマンションはバブルの残党と呼ばとった豪華マンション。
1階はロビーになっていました。
見晴らしもよく、高層ビルがあって皇居の緑があって。。。

それと何より立地がいい!日テレまで歩いていけるんですよ。
またまた同業者の多いマンションで、
歌手のW・Aさんやアメリカ人のD・Sさんなんかが住んでいました。

バブル期の半額くらいで売っていて70万くらいやったかな。
もう少し頑張れば何とかなるな、と思って契約してしまったのが運のツキでした。

ここで最終を迎えます。。。

ハワイに移住?

嫁がハワイに縁があって、
ここでもやっぱり自分はハワイに住むべきだ、
というわけのわからない思い込みで移住の話が出たんです。

確かに家も見つからないし、それもいいかなと思って一度見に行ったんです。
40万ドルで夢のような家が建っていました。
日本円で1ドル200円時代でしたから、40万ドルといえば8000万か。
立地もすごくよかった。でもどうしても踏ん切りがつかんかった。

仕事して、子供と奥さんにお金を送ってやっていくの?って自信があるようなないような。
バンバンやる人もおるんやろうけど、
性格上慎重だったのでやっぱり勇気がなかったんです。
例えばハワイに身近な親戚がなんぼでもいるっていうのだったら別だけど、
それがいない。
考え直して止めたんです。

そんなこんなしている内に、日本で次の家の候補を見つけたわけですよ。
今度は売れやすい条件で、間口が広くて東南角地ってやつです。

前の家は5000万円で下取ってもらって、あと7000万足らんかったんやけど、
某銀行に頼んだら、すぐ「やりましょう」って。
そういう時代だったんでしょうな。
1億1千5百万円でそこを買ったわけです。

結局そこの家では一晩しか寝ていないんですけどね。。。

病院の跡地

ホワイトハウスの次、
さて家を探すかってなった時に嫁がおかしなことを言い出した。

その時期ちょうど広尾ガーデンヒルズっていうマンションが建った時で
ガーデンヒルズは広尾病院の跡地に建てられた。

今考えると病院の跡地ってなんとなく怖い気がするな。
前の奥さんが広尾病院で子供を産んでいるんです。
「だからそれがなんやねん」っていう話なんですが、
そういう縁みたいなものを信じているみたいで、
きっとそこには何かあるんだ、買わなくちゃみたいなことを言い出したんです。

でもすごく人気のマンションですよ。
まず抽選するために会員になって、やっと権利がもらえる。

高いところは8000万、安いのは6000万でした。

これが後々どんどん脅威の値段に跳ね上がっていくんです。
確か一番安い6000万でも14億くらいになっとったと思う。
一番高い8000万が3LDKですごくいいところやったから、
バブルの時にはいったいどうなっていたかわからんな。

ちょうどその時にハワイに移住しようという話もあって、家を見に行ったんや。
次はそのお話。

大幅に予算オーバー

ウシウシ」憶えてくれてたひと、いるんやな。ありがとう。

ところで、またホワイトハウスのことやけど、
結局、細かいところにこだわりすぎて大幅に予算オーバーしたんですわ。

予算がだいたい2500万くらいで探してて、2600万円の家が見つかった。
まぁ少しくらいの上乗せは仕方ないと思って決めたんですけど、
次はリフォームや!
タイルやドアノブをはじめとする小物類にお金をかけすぎて
最後の最後は3200万円になっとった。
あれもこれもと思ってこだわりすぎた結果がこれや。
部品だけならそんなにオーバーしやんかったんやけど、
日本のものじゃないからてこずったところが多かった。

こだわりや!とは思っていたけど、内心やりすぎた・・・って後悔したわ。

満足するものにはなったけど、その後小言おばさんは出てくるし、
嫁とも微妙な壁ができ始めるし、下に下に落ちていった。

家って言うのは、住む人で決まるもんや。
いくらこだわって作った家でも、中身がバラバラやったらな、なんにもいい家ではないな。

ちなみに家のローンは8年で返しました。

土足じゃないよ

ホワイトハウスについてはこの前も書いたけど、
この家は土足かっていう質問を頂いたのでお答えします。

はっきり言うと土足ではありません。
でも日本の普通の家みたいに、
玄関があって、靴を脱いであがるという感じにはしたくなかったので
玄関の敷居を低くしたんです。それだけでだいぶ変わった。

そうやって、細かいところを好きなように作ることができるのがいいんやろうな。

タイルも探しまくって日本の小さいタイルじゃなくて、
1枚1枚が大きくて、絵柄が付いとるやつにしたんや。
今やと台所なんかで使われるやつ。それを風呂場に使った。
でもタイル1つ1つがでかいってことは、
その分貼り付けるセメントもいっぱいいるってことなんやな。

壁に厚く塗って貼り付けやなくっつかへんくて、
出来上がってみたらちょっとお風呂が狭く感じたんや。
当時は大きなタイルを使うっていう発想がなかったから仕方ないけど、
予想外のことやったな。

真鍮のドアノブにしてもそうや。
ドアノブなんて毎日絶対触るもんやろう。
アメリカのホワイトハウスみたいに毎日磨く人おったらいいけど、
もちろんうちにはおりません。
誰かが触るたびにせっせと磨いたんもんでした。

現実は映画のようにいつも綺麗になっとるわけないか。

売れない家

いじわるばあさんの小言のせいで、夢のマイホームを売ることになった。

前の奥さんが「耐えられない!」って騒いで、
ばあさんにか?僕にか?っていう話なんやけど、
まぁここはばあさんにってことで、仕方ないから売りに出すことにした。

ホワイトハウス
はもう僕のものじゃなくなると考えるとえらい悲しかった。

僕は仕事で家を出ていることが多かったから、
ばあさんの小言もそんなに聞くことはなかったんやけど、
前の奥さんはいつも家におって、
いじわるばあさんの小言ばっか聞いとったんやろうな。
仕方ないっちゃあ仕方ないけど正直悲しいわ。

自分の家を売る時につくづく実感したんは、
家を建てる時にその家を売る時のことも考えておかないといかんってこと。

ホワイトハウスがちょっと特殊な家やったんっていうんは前話したと思うけど、
家が外から見えないようなつくりになっていて、
僕らはそういう作りがよくって探したんやけど、
なかなか貰い手がつかなかった。

まぁ一般ウケしなかったってことですわ。
若い頃に買った家なんて、一生住む人の方が珍しいんやから、
次買う人のことも考えやないかん。

売りに出しても「岸部シローの家」としてはちやほやされたけど、
怖いもの見たさでやってくる人がぎょ〜さん。
でも実際買う人なんておらんかった。

うるさい小言ばあさん付きっていうのは、もちろん黙っとったで。
うちはあの不動産屋のおかげで無事売れたけど、どうなってたかわからんなぁ。

買う時にちゃんと考えて、買い手好みの家を見つけておかんと、
売る時に困るわけや。

でも、いつか買ってもらう人のために自分のマイホームを建てるのは矛盾やんな。
結局は無難な家がいいんやろうけど、それじゃ楽しみは半減やし、
どっちを取るか難しいな。

ひとりで引越し

引越しの次の日に家を出ることになり、
事務所として使っとったマンションに移った。

引越しっていうても新しい家に自分の荷物は運んでなかったから、
前の家から事務所兼マンションに移動させたんやった。

そのまま前の家からマンションに運んだんやけど、荷物が多すぎて入らへん。
何より服やら、本やら、どうしても場所を取ってしまうものが多い。

本は洋書ばっかで、外国の本ってやたら厚いでしょ。
邪魔やけど捨てられやんし、とりあえず本は壁一面に積み上げた。

服はルックルックで着とったスーツがほとんどやったわ。
僕は背が大きいから衣装がないんですわ。
本の壁の反対側はそのスーツだらけ。
それでも単身マンションに入る量じゃなくって、部屋の中はごちゃごちゃ。
いつも「寝とる間に地震がきたら死ぬな」と思いながら寝とったなぁ。

僕が寝るのもかなり無理してるから、絶対人は呼べやんかった。

トホホ……

家と人生って言うのは、全然別のものに聞こえるけど、僕は運命共同体やと思ってます。

僕なんかがいい例や。

実は自分の家やのに、一泊しかせずに出ないといけなくなったことがあった。

どういうことかと申しますと、ホワイトハウスの次の家、
さんざん探して見つけた家やけど、引っ越した当日、
前の奥さんと別居する羽目になって、
結局、僕が出て行くことになってしまったんです。

新しく越したばっかりの和室で、

「このまま一緒にやっていくか、1人になるかどっちにするの?」

って迫られたんです。僕の答えは

「1人でやっていきます」

やった。
今でもあの時、「一緒にやっていく」って言うたらよかったかなぁって思う時がありますよ。

でも、引っ越す前からギクシャクしていたんですよ。
お互い家が変わったら気持ちも変わるかなと思ってたんです。
心機一転って言うんですか。

でも無理やった。

究極の二択を迫られたのが、引越しした日の夜で、
次の日家を出たから、素泊まりで帰ってきてしまいました。

2件目の家は売る時のことを考えて、東南角地の立地条件のいい家だったんです。
前の家が全然売れなくって困ったから、そのときは先まで考えて買ったんですよ。
でもそもそもそこには住んでないから、そんな心配する必要なかった。
大きな声では言えないけど、売る時にはかなり値が釣り上がったらしいです。。。

まぁ、その家を出ていかなかったら、
いまごろは、宝くじなんて考えんでええくらいの豪邸が建っとるわな。

僕の家が大変身

自宅を売りに出したことのある人、
売った家を後で見に行ったことはありますか? 

行ったことのある人、そこにはどんな家が建っていましたか? 
大変貌を遂げていませんでしたか? 

こないだ書いた家ですけど
僕は1度だけ見に行ったことがあるんです。

そっと覗いてみたけども、ビックリしたね。
そこだけ、国籍が変わっていました。

東南アジアのリゾートに建っている家のようで、そこだけ異世界。
まぁ確かに僕の家だって異世界やったかもしれんよ。
でもあれはないわ。
おしゃれなので雑誌でも取り上げられてましたけど。
でも一歩外に出たらそこはもちろん日本の東京ですよ。
拍子抜けするわ。

日本の家やのに、回廊が付いててリゾートホテルみたいな雰囲気になってる。
しかも、僕ら家族はあんなに苦しんだのに、
しゃぁしゃぁと2階建てになっとった。
うるさい隣のおばあさんをどうやってまるめこんだんやろう・・・。
もしかしてもう亡くなったんかなぁ。って言うても、
ある程度の年をとると年齢ってわからんくなるやん。
いくつくらいやったんやろうか、あのいじわるばあさん。

亡くなってないとしたら、あの不動産屋が言いくるめたんやろうか。
僕の家を買い取った時といい、新しい家のリフォームといい、
最初から最後まで何もかも不思議な不動産会社やったなぁ。

おかしな不動産屋

家を買うにしても、借りるにしても、売るにしても、絶対かかわってくるのが不動産屋。
大げさに言うたら、不動産屋の良し悪しで物件の良し悪しが決まってくるんやと思うんです。

僕が家を売ろうとしたときに出会った不動産屋の話なんやけど、
えらい変わった人で、「この方角に住みなさい」とか「この家が合っています」とか
言う人やったんですわ。

「絶対売ってあげるから、その代わり私の言うことをよく聞いて、
指定した建築屋で建てなさい」と言われて、
家が売れるならそれくらい、と思って条件を飲んだら、
即金で買い取ってくれた。
僕らは5000万から6000万くらいを希望してたんやけど、
その値段で買い取ってくれたんです。

それからもちろん家は改装されて、今度はホワイトハウスから東南アジア風になってました。

あの人、一体どうやって売ったんやろうか。
それはいまだにわからんのですわ。

はじめての家はホワイトハウス

初めて建てた家は、アメリカのホワイトハウスをモデルにしました。

今でこそ瓦作りじゃない家でも珍しくない。
けど、あの時代には、洋風の家はあんまりなかった。

僕は白い家に憧れて、アメリカのホワイトハウスみたいな家を作ろうと思ったんですわ。
材料やら細かい道具やら準備するんは大変やったけど、
あ〜だこ〜だ言いながら外壁を全部白いペンキで塗って、
むくの木を全部ペンキで塗ったから、大工さんたちは文句ばっかいいよった。
玄関には1枚板のドアを付けました。

初めて建てた一戸建てはこまいところをこだわったね。
例えばタイル。
日本製の小さいタイルじゃなくて大きな、
外国の映画に出てくるようなやつを使いたかったんや。
今では当たり前のようにいろんなところで買うことができるけど、
昔は珍しいものやったんですよ。
1枚が高い、けど気に入ったタイルを探し出して、風呂場につこた。
今でもあの店はあるんやろうか・・・。

他にはドアノブを真鍮にして、大きな1枚板の玄関ドアにしたんやけど、
真鍮っていうのは汚れるものやから、毎日毎日磨きよったな。

芸能人の憧れ「川口アパート」

「川口アパート」って知ってますか? 

5万円出せばかなりいいマンションに住めるっていう時代に、川口アパートは一部屋13万から17万円もしたもんです。芸能人の憧れのマンションやった。

直木賞作家の川口松太郎さんが創設したマンションで、もうそろそろ築35年くらいになるんかな。もちろん今でもあるし、有名人が多数住んどりましたな。

一種のステータスみたいなもんで、「川口アパートに住んでる」と言うとけば、
「こいつはすごい」ってな具合で、一目置かれるようになる。

僕も、一度はあそこに住んでみたいなぁ、とよく思ったもんですわ。

帰宅妨害!?

私道は自分の土地ですか?

初めて家を買った時に、リフォームをすることになったんですけど、
もちろん自分の好きなように作りたいやないですか。

2階建てがいいかなぁとか、庭はどのくらいの広さにしようかなぁとか、
それが一戸建ての楽しみってもんやと思うんですわ。

ところが、隣のおばあさんがうるさくてうるさくて、本当に困った。
言う権利はないんですよ、こっちは法律に従って設計しとるんやから。

そやのに「ここは2階建てにしたらだめよ」とか「道路がないのよ」とか言うんです。

「道路がない」って、あるじゃないか!という感じやったんやけど、
おばあさんにしてみたら、自分の家の前の道は自分の土地なんでしょうな。
僕が芸能人やったっていうのもあるんやろうけど、もうさんざんでした。

僕は仕事で外に出ていることが多かったので、気にすることはなかったんですが、
家内が「耐えられない」と言って、引越しを決意しました。

隣のおばあさんに耐えられなかったのか、僕に耐えられなかったのかは、
今となってはわかりません。

両方だったんでしょうなぁ。

1回目の引越し

昭和47年は、タイガースが解散した年です。

このころ、前の奥さんと二人暮らしをしてまして、マンション住まいやったんです。マンションではないか、アパートですな。そこの家賃が当時3万5千円。

今では考えられんかもしれませんけど、その頃は5万円出したらかなりいいところに住めたんです。だから3万5千円っていうのは、良くもないし、悪くもないそこそこのアパートってとこでした。

たしか間取りは2DKくらいやったと思う。

それから長男が生まれて、家を探さないといかん!って思い始めたんやけど、なかなか気に入る物件がなくて探し回ったんですわ。予算と希望、どっちを妥協するかが大変やった。それで、まぁ妥協点を見つけて決めました。

職業柄、外から部屋の中が見えないようなところがよかったから、そこはクリアしとったけどそんなに広いわけでもないし、日当たりがいいわけでもない。

間取りは僕らの寝室とそこまで広くない子供部屋が2つとリビングとキッチン、あと納戸か。そんなに大きくない家でした。

それが僕の初めての一戸建てですわ。